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就職氷河期平成リーマン人生|そんなに不運か?

ワークライフバランス
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分析の仕方によって前後はするが、概ね1995年から2005年に新卒就職した人たちを就職氷河期世代とよび、2025年現在、なんかやたら不運・不幸な世代として煽られている感じがします。

その当事者の一人として、
「そんなことはない!」
と言いたいと感じてしまいます。

まあそりゃ色々、不運と感じたことも少なからずない訳ではありませんが、そんな事はいつの時代もあったものと思います。
一方で、この世代で生まれ育って良かったと思う事も結構あります。
各世代、というかもうそれは個々人によって千差万別であって当たり前、そもそも世代でくくるもんでもないだろうというのが大前提ですが、それでもあえてこの世代に生まれて良かったこと改めて考えてみます。

そもそも就職氷河期世代って誰の事?

1995~2005年に新卒就職した世代とは良く言うが、高卒就職~院卒主食まで含めると、その幅は結構広く、生まれ歳で言うと1970~1986年生まれ(遅うまれでカウント)、即ち昭和45~61年位生まれの世代。これは始めと終わりで16歳、即ち一回り以上歳が違うわけで、そもそもこれを一括りに就職氷河期世代とくくるのも少し頭ずれている気もするが、それに踊らされる方もいつもの通りであるが。

「いやいや、大学新卒の一括採用の事だよ」
という答えが返ってくるのかと思いますが、ちなみにこの時期の新卒就職率は大卒、高卒問わず歴代最低だった模様。

新卒就職率:内閣府公表

出典はこちら、内閣府公表の白書等/日本経済2019-2020より。

こちら内閣公表の数値であるが、これを見ると1995~2005年頃は高卒、大卒とも概ね70%以下。
本当の底で行くと1999~2004年でこの5年間がどん底世代で60%強である。即ち大卒、高卒とも3人に1人は就職できなかったという事。

  • 就職氷河期世代   :1995~2005年新卒
    就職率70%以下
  • 就職氷河期どん底世代:1999~2004年新卒
    就職率60%強

なお、前提条件をこの大学新卒一括採用とするならば、大学全入時代と言われる2025年現在でも高校から大学への進学率は約60%。
2000年(平成12年)前後でいくと40%弱(↓の文部科学省による学校基本調査参照)。
即ち、高卒の過半数は大学進学していなかったわけである。

出典はこちら
文部科学省による学校基本調査/令和5年度結果の概要/令和5年度学校基本調査の公表について (PDF:775KB) より。

という事で大学新卒の一括採用に限定すると、人口だけで見るとマイノリティーの方の話をしているわけだが、まあ日本経済を頑張って支えてきたのが大卒の企業戦士とするならば、この前提でもよいのかと。


まあ、それはさておいて、とにかく対象のメインは1995~2005年に大学新卒一括採用で就職した世代、即ち日本の平均的な教育課程であれば1971~1982年生まれの方々、昭和の最後が小学生だった方々かと。
ど真ん中は1977,1978年生まれ、その前後5歳の世代の方々である。

そして上で言う就職氷河期どん底世代:1999~2004年新卒は1975~1981年生まれ

和暦で言えば昭和50~56年生まれ
まさに私の事で、私は昭和52年、1977年生まれ。
1977年生まれとは、即ち1989年、平成元年に12歳、昭和64年(平成元年)のお正月を小5の冬休みに迎え、関東では通常冬休み最終日の1月7日の日曜日に、ときの官房長官であった小渕元総理が平成の元号を発表した記者会見の映像を家族皆でテレビで見た事を鮮明に記憶している世代です。
今の50代中後半位のバブル入社の頃の方々を最後の昭和サラリーマンとすると、我々は正に失われた30年と言われる期間のど真ん中を新人~中堅で過ごしてきた平成サラリーマンとでも言いましょうか。

早見表:生まれ年~就職年度

もう少し細かく時代時代を振り返ると、

  • 小学生:1984~1989年
    まだ土曜の半ドンが当たり前。
    土曜の午後は友達の家でファミコン、夜は全員集合(後半は加トケン)を見て、日曜は親父と遊び夜にはサザエさん症候群を発症しつつもタッチでちょっと大人になった気のした小学生時代。
    世はバブル経済の真っ只中、小学生としては勿論、そんな自覚は一切ありませんでしたが、身近な所で行くと日本の平均所得が上がった影響か、上学生向けの塾が一気に拡大し、第一次中学受験ブームが起こり超難問クイズの様な受験算数が氾濫。小学校受験をあらわす「お受験」という言葉が出来たのもこの頃で田原俊彦さん主演の教師びんびん物語(19988年)が流行ってました。一方でスクールウォーズ(1984年)やハイスクール落書き(1989年)等も流行、まだまだ学園暴力が溢れていた時代でもありました。

    • 8時だよ全員集合が放送終了:1985年
    • スーパーマリオ発売:1985年
    • 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ:1986~1992年
    • アイドル全盛期
      TBSベストテン~1989年、日テレトップテン~1985年
      夕焼けにニャンニャン1985~1987年
    • バブル絶好調:1986~1991年頃
      札束バラマキ、トレンディードラマ流行 etc
    • ドラゴンクエストⅢ発売:1988年2月
    • 昭和から平成に:1989年1月
    • 日本で初めて消費税導入(3%):1989年4月
      自販機ジュースが110円に

  • 中学~高校生:1990年~1995年
    全国の男子中学生の生態として、金曜の深夜ギルガメッシュNight、土曜の深夜に夢で逢えたらを見て盛り上がり、後期にはそれが日曜8時のダウンタウンのごっつええ感じ~SHLALA、ガキ使へとなり、ジュリアナ東京に行くことを夢見たまさに青はる時代。
    ブルセラショップ、ルーズソックスが登場し街にミニスカ女子高生が溢れた時代。
    アムラーが登場し、ポケベルが高校生にも普及、直後に控える携帯電話の爆発普及直前の通信革命前夜の時代。
    彼女との待ち合わせは駅の掲示板前が当たり前でした…

    • ジュリアナ東京:1991~1994年
    • 夢で逢えたら:1989~1991年
      若き日のダウンタウン、ウッチャンナンチャン、野沢尚子、清水ミチコによる伝説的深夜番組。番組終了後、土曜から日曜深夜に枠を移し、後継番組とし笑撃的電影箱(ウッチャンナンチャンSHALALA+ダウンタウンのガキの使いやあらへんで)に引き継がれる。
    • ダウンタウンのごっつえぇ感じ:1991年から1997年
    • ギルガメッシュNIGHT:1991~1998年
    • ブルセラショップの出現~社会問題化:1993~1997年
    • ルーズズソックスの第一次流行~アムラー隆盛:1993~1998年
    • ポケベルが一世を風靡、関東では東京中心に高校生にも普及:1995年~1997年
  • 大学生:1996~1999年(~2000年_1浪)
    大学1年生が入学と同時に携帯(又はPHS、当時は半分くらいはピッチ(PHS)だったイメージ)を購入しだしたのがこの世代。1年の終わりには男女問わず確実一人1台になっていた。
    PメールができるからPHS、ショートメッセージの登場、着メロ、写メ、普及しきれなかったi-mode等、毎年新しい現在も続く革新的な携帯機能が日本からも登場、日本の電化製品が世界最強だった最後の時代。
    コギャルがそのままギャルになり厚底ブーツがはやり、現代のマッチングアプリにつながる出会い系が登場したのもこの頃、当時はまだ出会い系という言葉はなかったが各種の出会い系サイトが現れては消え現れては消え…
    ひろゆきさんが2chを学生時代に立ち上げ、Amazonを最初に使いだしたのもこの頃の大学生。
    音楽業界では毎月ミリオンセラーシングルが登場し、宇多田ヒカルがFirst Loveのアルバムで年間700万枚を売り上げたのも1999年。
    バブル崩壊後、経済右肩下がりとずっと嘆かれつつも、まだまだこの頃の日本にはものすごい勢いがありました。
    また、この頃は浪人は結構、当たり前で東大や京大、早慶は勿論、1段下がってMARCHレベルでも過半数が浪人だったイメージです。この頃の正確なデータはないようですが、肌感覚でそんな記憶があります。


    • Windows95登場~一気普及:1995~2000年
    • PHS・携帯電話が全大学生に一気普及:1996~1997年
    • J-Phone(ソフトバンク)から世界初カメラ付き携帯:1999年
    • Docomoから世界初携帯でインターネットの出来るi-mode登場:1999年
    • ミリオンセラー楽曲/CD全盛:1995~2002年
      小室ファミリー、宇多田、浜崎あゆみ、モーニング娘、GLAY、ラルク etc.

といった、学生時代を送ってきた世代です。

まあ、今風のいいかたで言えばこんな学生時代を送ってきたのが就職氷河期世代のペルソナのひとりではないかと。
これは1977年生まれの私の場合の印象なので、前後5歳の方で大きく印象の受け方、残り方違うでしょうし、そもそも社会現象をとらえる感覚は個々人で大きく差はありますが。

ちなみにあと2年、大学院までいくと(私は一応理系なので大学院まで行きましたので)

  • 大学院生:2000~2001年(~2002年_1浪)
    大学院生ともなると、割とまじめに勉強しますしが、今振り返ると2000年に崩壊されたと言われるITバブルの終焉期。
    振返るとITバブルは既に崩壊していたようですが、巷ではまだまだITベンチャーという言葉がはびこり、ひろゆきさんの2chに続き、ファイル共有ソフトや各種違法コピーソフトが多数出回ったのもこの頃。
    また2025年現在GAFAMと呼ばれるアメリカビッグテックの二人目、Amazonが日本上陸したのが丁度2000年。
    ちなみに一人目はWindows95で日本席巻したマイクロソフト。Windows95に続き98,2000,XPとソフトビジネスで日本のパソコン市場を完全に牛耳られたのが丁度この頃。MEとかVistaなんてのもありましたべ。
    ちなみにアップルは98年のiMac、2001年のiPodで一部の若者の間では若干知名度ありましたが日本での本格知名度アップはiphone登場の2008年までもう少し。
    しかし、このiPodがその後2005年にサービス開始のiTunes Music Storeにつながり、2008年のiPhone登場、Apple Storeサービス開始につながる布石となっていたわけですが…
    この頃、日本の携帯ではauが2002年に着うたサービスを開始し、まだまだガラパゴスに盛り上がっていたわけですが、それでもこの頃の日本の携帯は世界最先端でした…
    当時の海外携帯の雄、Nokiaなんて外観デザイン以外これといた特徴はなかったですよねーという時代。日本はどこで乗り遅れたのか…はい、スマホで負けたんですが…
    • アマゾンが日本でサービス開始:2000年11月
      ちなみに日本の雄ヨドバシがヨドバシ.comを開始したのは一足先で1998年でした
    • ファイル共有ソフト隆盛:2001年
      WinMXが日本で普及したのが2000~2001年、そして最近、暗号通貨の技術の祖として話題に上がった元東大助教授の故金子氏が開発したWinnyがそれにとって代わったのが2002年。
    • ADSLサービスの登場によりインターネットが一気に高速化:2000~2001年
    • ソフトバンクがヤフーBBサービスの名前でADSLルーターを無料バラマキ:2001年

就職氷河期世代で良かったこと

ということで今回は1999~2004年に大学新卒で60%強の就職率でなりふり構わず就職したはずのどん底世代、生まれで言うと1975~1981年、昭和50~56年生まれの方々が対象。
年齢で言うと2025年現在、44~50歳。
企業でいうといわゆる部長職~課長職の方々がいわゆる出世ライン、はたまた昨今はポストがあかず静かな退職と言われる、実は中身は優秀(??かどうかは実際の所はわかりませんが)な最低限の仕事をこなす方々の方がマジョリティ。
そしてよくマスコミでいわれる新卒で派遣社員として就職をしそのままの方、その後正社員転職した方、双方おられれるかと。
また終身雇用がくずれ、若いうちに転職をしだしたのも正にこの世代が日本では先駆者。
中には勿論、上場企業~ユニコーン、ベンチャー、自営業含め経営職の方々も少なからずおられるかと。

この世代の特徴として

  • アナログ~最新デジタル機器の両方に精通
  • 実は現在ネットリテラシーが一番高いかも?
  • 実は受験はかなり過酷だった
  • リーマンショックのおかげで意外と資産増えている方々も…

と、自分も含め勝手に思い込んでいます。
ではそれぞれ具体的に…

アナログ~最新デジタル機器の両方に精通

デジタルOA機器をなんだかんだ良く使いこなしている!

まずは、兎にも角にも、これに尽きるのではないでしょうか。

私もそうですが、本当にこの約50年色々なもの出ては消え、出ては消え。
その中で、象徴的なモノがやはりデジタル化ではないでしょうか。

2025年現在では要するに携帯電話とインターネット、それに付随する多種多様なサービス。
そして、現在のいわゆるネット社会にたどり着くまでに紆余曲折を経てきた各種関連機器。
皆さまの家庭やオフィスでも最新のものから、え?まだあんの?というような時代錯誤な家電や、OA機器、システムが新旧入り混じって使われているかと思います。

特にOA機器という点に着目すると、実は我々就職氷河期世代はとても恵まれている気がします。
要するになんでも使えるわけです。
アナログ機器からデジタル機器まで全部、実務・実用として体験してきたから。

現在のいわゆる部長職層世代。
まあ業界によって年齢はまちまちとは思いますが、40代後半から50代ではないでしょうか。
そうです、まさにここのど真ん中が就職氷河期世代。
管理職になっているかは別にどうでもいいのですが、ここに大きなデジタルOA機器活用の壁があるように私は感じています。
具体的に言えば、パソコンが一番分かり易いかと。

  • 50代以上はパソコンリテラシーがものすごく低い。
  • ところが、40代未満も決して高くはない。
  • 要するに40~50歳位が最もパソコンスキルが高い

と、私は感じていますがどうでしょうか?
これはあくまでもパソコンによる資料・書類作成業務に関連するものです。
ここにネットリテラシ―を追加するとやはり更に若い世代の方が強い所もかなりあるかと思いますが、我々40代後半組も決して弱くはない。

このパソコンリテラシーが必要な業務に特に強いのが、40代の管理職ではない層。

昨今、巷でよく聞かれる

「静かな退職」

という言葉。
昔でいう
「働かないおじさん」
もここに含まれる。
含まれると表現したのは、「静かな退職」にはバリバリの若手も含まれるから。
とのことらしい……

いやいやちょっとまて!
これにはモノ申す!!


と思っている40代後半の方々が多いのではないだろうか(…と勝手に願っています)。

俺は確かに静かな退職者…
でも仕事は結構してる!
昔よりは頑張ってないけど…
あいつら(一部管理職含む50代)と一緒にすんな!


と、感じていないだろうか。
何故ならば…

本当に仕事しているから…
パソコンも各種システムもちゃんと使えるから…

要するにバリバリ現役社員なんです
ただ会社風土(方針?)に合わず出世ラインにのれなかっただけ…

ところが50代(最近は60代もちらほら)に目を向けると、我々40代後半から見ていても、確かに働かないおじさんがちらほら散見されます。
ただ、感じるのは、彼らは働かないおじさんなのではなく、働けないおじさんなんです。
何故ならば、今でもパソコン含めデジタル機器があまり旨く使えないから。

2025年現在、50歳という所に、正にデジタルリテラシーの大きな壁が存在するのではないでしょうか?
50代を一括りにするのも勿論、かなり乱暴なのは承知しています。
50代後半は要するに、まだバブル世代。
大学時代~社会人開始をバブル期に迎えた要するに…な世代。
本当に最後の昭和サラリーマンですかね。

そして50代前半は平成最初のサラリーマン世代。
彼らはバブル世代ではありません。就職氷河期世代、失われたらしい30年の始まり世代です。
彼ら50代前半と、我々40代後半が決定的に違うのが高校~大学時代にデジタル機器が普及したかしていないか。
50代前半の方々が大学生であった頃、2025年現在の正に50歳で区切るならば1975年・昭和48年生まれが大学生であった頃の1994~1997年、この頃の大学生はインターネットは勿論、パソコンも携帯もネット通販も大学時代にはほとんど経験していないのです。まあ卒業ま近の1995年の冬、就活ど真ん中の3年生の冬頃にようやくWidows95登場な訳です。
この頃の大学生や就職活動というのは、まさに「めぞん一刻」~「東京大学物語」だったのではないかと推測されます。

そして昭和51年以降の世代になると、はい、大学1年の頃には携帯がありWindowsもありました。
卒業論文はWordで作成、図表はパワポとExcelを使い、就活のエントリーは既にネット応募(勿論手書きのエントリーシートもまだ混在はしていましたが)でした。
アマゾンも出会い系も学生時代に体験、そして晴れて社会人に。

これに、最後止めをさしたのが、コロナ禍での副業解禁。
コロナももはや5年前。
その頃は我々は正に40代前半。
管理職になるかならないかの瀬戸際でのリモートワークと副業解禁。
これを幸ととらえるか、不幸ととらえるかは人それぞれですが、私は勿論、幸ととらえます。

だって…

  1. 多くなくても、大手をふって副業で収入えられて
  2. 会社からも高くないなりにそれなりの固定給もらえて
  3. しかも副業の過程で得られる知識は新鮮でかなり面白い
    いや、まじでこれも大きい。本業より楽しい。
    新鮮なことが多く、若い頃を思い出す。
  4. 更にはうざい社内政治(いわゆる管理職罰ゲーム)にももう巻き込まれない!
  5. そして止めは、この状態がまだしばらく続けられる。
    何故ならば、デジタル機器もちゃんと使える現役社員だから!

いやいや、最高の人生でしょう。

現在、50代以降の方々の多くは今から働かないおじさんを量産せざる得ないわけです。
今でも実務ではあまり貢献できないわけですから、管理職定年来たら、あとは頑張って再雇用制度にしがみつくしかないわけです。

現在、40未満の方々はまだまだこれから色々、日本経済変わっていくのでしょうが少なくとも上記2の会社からのそこそこの固定給が中々貰いにくくなっていくことが予測されます。

こういうとらえ方で考えると、就職氷河期どん底の昭和50~56年生まれの皆さま…
我々は結構良いの時代を生きているのではないでしょうか?
あと10~15年、ほどほどに会社に貢献しましょう。
副業がしっかりしたら、本業にしてしまうのも勿論ありかと。

まあ、私も勝手に自分はまだ現役と思っているだけで、下の世代からはやはり「働かないおじさん」と思われてしまっているかもしれないことは否定できませんが。

ちなみに蛇足ですが私の勤務先の海外拠点にはまだFaxがあり、レンタルオフィスのエアコンをON・OFFする管理事務所との連絡手段として、まだ使用されています。
先日30代前半の若手が初めてこの拠点にいった際に、そもそもFax自体を認識しておらずエアコンがON出来ず、暑い中業務に励んでおりました。
50代の部長も一緒におられたのですが、自分でFax送ったことがない…とのたまわっておりました。
いやいや、一応そばにマニュアル(英語ですが)おいてあるんだからやってみたらいいやん…と。

各種デジタル機器の普及と衰退

ということで、この50年間に、どんなデジタル機器が普及して衰退していったのかを簡単に振り返ってみます。
その前の50年(要するに昭和の初めから昭和50年まで)や、更に遡る50年(明治中期~大正末期)と比べるとこれだけ多くのものが登場して消えた時代は世界史でもなかったのではないでしょうか。

昭和元年~50年までを一括りとするならばその最大生活変化は輸送手段と電化製品の普及。
まあ要するに自動車と家電製品、いわゆる3種の神器と呼ばれた冷蔵庫、洗濯機、テレビによる生活変化でしょう。
手動~自動というのが生活の面で劇的な変化であったことは想像に難くありませんが、「自動車と家電3種の神器」の一言で表せてしまうシンプルな変化ともとらえられます。
勿論、その間には第二次世界大戦というとんでもないことがありましたので、その人生は我々にも想像もつかないものであったのでしょうが。

それに対し昭和50年から現在令和7年の2025年の50年間。
この間は、3種の神器を超えた数々のアナログ便利家電、そしてデジタル家電、白物~黒物家電。
交通網の劇的な整備、パソコン・インターネットの登場、携帯電話~スマートフォンへの変遷、クラウドサービス、サブスクリプションコンテンツの普及どの項目をとっても様々な変化が起こりました。

そしてそのど真ん中に小中校大~若手・中堅社会人を過ごしてきたのが、われわれ就職氷河期世代。
ざっと振り返ってみます。

  • 小学生時代:最期のアナログ機器黄金期
    幼稚園時代の最後に登場したファミコン、1985年(私は小2)に登場したスーパーマリオが日本を縦断、そしてドラクエⅢで私のファミコン熱はピークを迎えておりました…っと思っていたら1989年にはゲームボーイ(初代はモノクロ)が登場、いやめまぐるしい変化でした。

    電話もまだダイヤル式が主流の低学年時代、しかし高学年になる頃には大分、プッシュ式、そして憧れのコードレス電話、そしてコードレスと同時導入される夢の電話子機!。
    自分の部屋で電話が出来るなんて…!!
    街中にも公衆電話が溢れていました。
    テレホンカードが普及しだしたのもこの頃。
    テレビもまだ最初はダイヤル式も結構多かったかと。
    ボタン式のテレビの普及、そして家に初めてリモコンが来たのもテレビが最初でした。
    っと、リモコンに驚いていたら、もう小学校卒業の頃にはビデオ(VHS)が一気に普及。

    音楽聴くのは当然、レコードがカセットテープ。
    大体、カセットデッキがリビングにあり、年の離れた兄弟がいる家では兄、姉の部屋にはラジカセなるものと憧れのウォークマンなんてものがありました。

    そしてタイプライターもまだありました。
    私の場合は、英語教室に1年だけ通った時に毎週使ってました。

    これらは、ファミコンとゲームボーイ以外は全て今でいうアナログ機器ですね。
    まだ、世の中にデジタルなんて言葉はほとんどありませんでした。

    デジタルという言葉は精々、デジタル計算機(いわゆる電卓、卓上計算機のことですが昔はこう呼んでしたよね?)とデジタル時計位ではなかったでしょうか?
    どちらもCASIOの代名詞ですね。
    いわゆるG-Shockの初代が発売されたのも実は1983年らしいですね。
    G-Shockという言葉は知りませんでしたが、CASIOのデジタルウォッチ(腕時計)には小学生ながらにあこがれていました。

  • 中学生時代:デジタル機器黎明期
    ウォークマン(カセットテープ)とCDラジカセ、ないしはCDコンポ!
    これが平成初期中学生の神器ではないでしょうか。
    中学入学早々に色気づき、急に音楽を聴きだしたりするお年頃。
    ウオークマンをいつ親に買ってもらえるかがかなりの問題でした。
    まだ家にCDラジカセもコンポもないから、友達から借りたカセットテープをダブルラジカセでカセットからカセットにダビングなんて事も良くやってましたね。
    ダブルラジカセもない場合は、友達の家でダビングなんてこともしょっちゅうだったかと…
    懐かしい…

    小学校の高学年の頃には街でレコードに代わりに普及しだしたCD。
    デジタル信号???ってなんだかよくわからないけどCDの方がレコードより音がいいらしい…
    デジタルという単語がちらほら聴こえるようになってきたのもこの頃ではなかったではないでしょうか。

    CDレンタルが広まりだしたのもこの頃。
    TSUTAYAが全国を蹂躙するのはもう少し先のお話なので、全国各地でローカルCDレンタルショップがばっこしていましたね。
    少ない小遣いでせっせとCDをレンタルしてカセットにダビング、そしてきれいにレタリング。
    好きな女の子と貸し借り…なんていう楽しい時代でした。

    折角、カセットテープのウォークマンをゲットしたばかりなのに、92年冬にはSONYがMDウォークマンを発売!!
    なんだ…MDって…
    でも、なんかかっこいい…でもCDラジカセ買ってもらったばかりだし…

    1990年にはスーファミ登場により一気にファミコンから移っていきましたが、まだゲーム機器がデジタル機器という認識はなかったかと。

    ちなみに我が家では新しもの好きの親父が家でワープロ使っていたのを、一緒に使いましたが、世間ではワープロの家庭への普及ってあまりしていなかったのかと。

    CDとMD。
    個人的にはこの二つのデジタル機器がデジタルという言葉の一般への普及の旗振り役だったかと記憶しています。

  • 高校時代:デジタルの夜明け前夜
    92年の安室奈美恵登場(当初はwithスーパーモンキーズ)と共に時代はコギャル全盛期。
    社会人、大学生だけではなく、首都圏では高校生の間でもポケベルが普及。
    私自身は持っていませんでしたが、友達にはベルを打っていました。
    今にしてみると「ベルを打つ」って意味の分からない日本語ですよね。
    ちなみにポケベルってダイヤル式電話でも使えましたし、当時はまだ電話回線自体がアナログ回線だったので、デジタル液晶は搭載していましたが機器としての区分はアナログ機器ですよね。

    音楽機器ではCDウォークマンなるものも結構普及したかと。
    ただ、あいつは縦になってしまうとよくCD再生が止まってしまいウォークマンとしては結構、欠陥品が多かったという印象が。
    高校時代にMDウォークマンをゲットした方も多かったのではないでしょうか。
    この頃のSONYはまだ完全に音響メインの会社のイメージでした。

    そしてまたまたSONYから今も世界で第一線を走るPlayStationの登場。
    ゲームをCDでするなんて…!
    と結構な衝撃でした。
    これもまちがいなくデジタル機器。
    日本のデジタル化はSONYがけん引したといっても過言ではないかも。
    プレステの登場により任天堂のスーファミは時代遅れとなり始めました。
    プレステ登場当時はいわゆる格ゲー全盛期。
    スーファミのストリートファイター2、プレステの鉄拳、そしてプレステと張り合っていた今は亡きセガサターンのバーチャファイター。
    鉄拳派とバーチャ派に分かれて熱戦が。スト2は人気に陰りが…
    そしてファイナルファンタジーがプレステに移行でスーファミが止めをさされたかと。
    その後、Nintendo64、ゲームキューブと振るわず、Wiiで少し盛り返すも2004年のDS登場まで、長い長い任天堂の暗黒時代の幕開け…

    そして1995年の年末の11月(私は高校3年)。
    出ましたWindows95。
    当時の私は高校3年の受験生、残念ながら浪人が確定した96年の2月にはやはり新しもの好きの親父が自宅に富士通FMV(勿論デスクトップ)を購入してくれました。
    インターネット??パソコン??何に使うの??…
    Yahoo!ってなんだ??
    という18歳の私でしたが、まさかこんな時代になるとは当時は夢にも思いませんでした…

    まさにWindows95の登場が、世界のデジタル化、インターネット時代の幕開け。
    きっと100年後の歴史の教科書にもWindows95とインターネット時代開始という言葉は載っているのではないでしょうか?

  • 大学時代:デジタル時代の幕開け
    携帯電話の爆発普及。
    ポケベルは当然持っていなかった高校時代、地方から首都圏にでてきた大学1年生。
    首都圏の大学1年生は入学と同時に携帯(ないしはPHS)を契約。
    その普及率は大学1年の終わりには感覚的には100%かと。
    携帯なくして大学生活は送れないといっても過言ではなかったかと。

    この1996年、97年頃の携帯爆発普及が正に電話回線のデジタル化元年。
    携帯電話自体の登場は実はもう少しさかのぼる訳ですが、当初の携帯電話はアナログ電波。
    いわゆる1Gです。
    そして96年、97年頃の携帯爆発普及が2G。
    当時Docomoやauの前身のIDOではPDC方式とか、デジタル携帯電話とか言っていました。
    auは「CDMA one」なんていうCMも打っていました。
    正直なんのことだかさっぱりわかってませんでしたが、今になって思うとこれもデジタル通信を強調したかったんですね…
    ちなみにCDMA2000になるとこれが3Gです。

    尚、高校時代の所で書いたWindows95、インターネット普及。
    あたかもデジタル化の幕開けの様に書きましたが、はい、わかっております。
    この当時、インターネットのメイン回線はまだアナログ通信でした。
    当時はインターネット回線=固定電話回線。
    はい、アナログ回線です。
    NTTの悪徳ビジネスと揶揄された、固定電話加入権がまだ猛威を振るっていたころ。
    まだWi-Fiなんてもちろん、光ファイバーも一般家庭には普及していません。
    それが、96年、97年頃にはISDNサービスが登場。
    2025年現在、もう化石になりつつありますがまだISDNの家も日本にはあるかと。
    これが、インターネット回線のデジタル化、そして高速化の開始でした。
    高速化といっても当初は最速128kbps。
    2025年現在のいわゆる光回線のギガバンド(1Gbps)のおよそ1万分の1の通信速度です。
    (1Gbps = 1,000Mbps = 1,000,000Kbps)
    それでアナログ回線の3~4倍程度の高速化。
    当時はすごく早く感じたものでした。
    そして、夜11時~翌朝7時までのテレ放題。
    当時はインターネットの月額利用料とは別に電話代も取られてましたね。
    寝れない暇人大学生が巷にあふれておりました。

    パソコン業界ではWidow95に続き、Windows98が出て、「えー!買い換えないといけないの?」とかびっくりしてもたついているのもつかの間、Winows2000とな…もうなにがなんやら。
    Windows Meなんてものもありましたね。もうわけわからん。
    まあどれもあまり普及しなかったイメージですが2001年末に発売されたWindows XPは一気に広がったイメージが。
    Windows XPがWindowsを日本に根付かせた功労者ではないかと勝手に思っています。

    そして、このWindowsアップデートに始まる、各種アプリケーションソフトウェアアップデートビジネスも正に黎明期。
    はい、いわゆる違法コピーが氾濫したわけであります。
    今の20代の方なんかには想像つかないかもしれませんが、この当時の違法コピーって、本物コピーな訳です。もうまったく何も問題なく本物と同じように動作するわけです。
    色々な違法コピーソフトが出回りました。
    しかもただなんです。
    なんかどっかでよく聞く劣化版のパクリの違法販売ではなく、本物コピーがただでインターネット上からダウンロード出来ちゃったんです。

    そう、それがいわゆるファイル共有ソフトの登場。
    最近、暗号資産界隈の盛り上がりのおかげでクローズアップされる機会の増えた、東大元助教授の故金子氏が開発したWinnyもこの頃。
    正確には1999年にアメリカで開発公開されたWinMXが2000年に日本にも上陸。
    現代のブロックチェーン技術の基盤技術と言われる、P2P(Peer-to-Peer)と呼ぶ技術が開発されインターネットプロバイダーが提供するいわゆるクライアントサーバーを経由せずに個人所有のパソコンとパソコンを直接通信してしまえという考え方の技術。
    これが違法コピーソフトやいわゆる大サイズの成人コンテンツ動画を入手するための手段として大氾濫したわけです。
    正規に購入するのではなく、日本中の(たまには外国の)あの人が持っている違法コピーソフトを私にも下さい、かわりに私もこの違法ソフトを共有公開するから…というノリで。

    2000年当時、まだ世界中でソフトウェアのライセンスビジネスという概念が理解されないなか、こんなに頻繁にアップデートにお金を取られてはたまらん、でも最新のものが欲しいという低いネット民度のなか、お金がない、でも暇…な大学生、特に理系大学生がここに沼った訳です。
    更に拍車をかけたのが成人動画であったのは詳細を説明するまでもありませんが。
    しかし、当時自宅のインターネット言えばまだ上記のISDNの128kbpsが主流。
    とてもとてもWindowsの違法コピーソフトや成人動画のダウンロードには回線速度が遅すぎて…
    しかも、夜23時~朝6時のテレ放題以外の時間帯は電話代までとられてしまう…
    そんな中、2000年には今となっては懐かしいADSLの接続サービスがNTTからも開始。ファイル共有のために自宅・もしくは下宿のネット回線の契約をISDNからADSLに変えた方も当時結構おられたのではないでしょうか。なんせ、当時ネット回線を高速化する需要ってまだこれ位しかありませんでしたので。現ソフトバンクがYahoo BBの名でADSLのルーターを街中で無料配布しまくったのが2001年ですので、その当時まだADSLはサービス開始たものの当初は需要が少なく、中々普及しなかったわけです。だからこそ孫さんは無料でもいいからまず高速回線網を広げろという戦略に出たわけです。
    とはいえADSLでさえも通信速度は最大で12Mbps。
    まあISDN128kbpsと比べたら100倍の速さな訳ですが、まあ当時の違法ソフトとか動画のサイズって大体700Mbyte(CD一枚に丁度収まるデータサイズ)が目安でしたのでまあ中々しんどかったです。一晩で1個、2個のソフトをダウンロード完了出来ればいいなという位。

    その結果、なにが起こったかというと…
    WinMX(ウィン-エムエックス)が大学内の高速インターネット回線を利用して猛威を振るったわけです。
    現在のギガネット程ではありませんが、各地の大学(特に理工学部)には当時最新技術の100Mbpsの光ファイバー通信が先行導入され、学生に無料提供されていたわけです。
    しかも24時間無料。
    今はしりませんが、2000年前後の理系の大学研究室は24時間フルオープン状態。
    昼間は家で寝て夕方大学に来て、4年生の面倒を見て、夜中に自分の実験、論文作成する大学院生は当時かなり普通でした。
    …ということで、大学の光回線を使って学生が皆、WinMXを稼働させたわけであります。
    そして、大学のネット回線がパンクする…そして…
    「ファイル共有ソフト接続を切りなさい」
    っという学内放送が理工学部内でアナウンスされるわけです。
    ネタに聴こえるかもしれませんが、いやこれ本当の話です。
    日常茶飯事でした。
    そして、2001年になると故金子氏開発のWinnyが登場しまさにファイル共有大航海時代に突入した訳です。
    最近ちょこちょこ昼の番組やAbemaなんかで脚光を久々にあびましたが、WinMXこそアメリカ発でしたが、Winnyは正に当時の世界最先端技術でした。
    これがお金のない高速回線を手にした大学生及び、高速回線はないけど夜間テレ放題中の高校生や一部中学生にもドはまりした訳です。
    いや、私もWinMXとWinnyのおかげでインターネットとは何か、ネットセキュリティーとは何かを身をもってだいぶ学ばせていただきました。

    ちなみにWinnyの最後の二文字「ny」、これは先に普及したWinMXの「MX」に対抗したもの。
    「MX」より次世代のものだからMとXの次のアルファベットであるNとYをとって「NY」
    従ってWinnyは「Winny、ウィニー」ではなく「WinNY ウィン-エヌワイ」がソフト名の由来というのは、もう当時のファイル共有界隈では常識でした。

    またソフトウェアの違法コピーではなく音楽のデータ化が始まったのも正にこの頃。
    CDの音源をパソコンで吸い出して、MP3に圧縮そて、それをパソコンで聞く。
    こんなことが始まったのもこの頃。
    これがCDの違法コピー、著作権問題として発展していくのはもう少し後のお話ではありますが、そんなこと言っている間にアップルからiPodが登場(2001年)してi Tuensサービスが始まり(2003年)、現代のSpotifyやApple musicといったストリーミング型の有料配信サービスにつながる基盤となる技術やサービスが世界で始まる原始の波に日本は乗り遅れたわけでした。
    着うたサービスとか、MP3がいっぱい再生できることを全面に売りにした音楽携帯とか色々頑張ってたんですけどねー。
    全部iPhoneにひっくり返されたわけですよね…

    デジカメが爆発普及したのも2,000年前後。
    これもパソコン、ネットの普及、そしてファイル共有と切っても切り離せないデジタルガジェットです(この当時まだガジェットという言葉はありませんでしたが)。
    正直、一般家庭でパソコンが必要な理由って今でもあんまりないですよね。
    それこそ今であれば、もうスマホだけで充分ですよね。
    お父さん以外はパソコンのない家庭という方が、ひょっとしたら多いのではないでしょうか?
    しかしこの2000年前後のデジカメと併せて家庭用プリンタの普及に貢献したのが間違いなく写真のデジタル化。
    そして日本の年賀状文化!。
    年賀状に家族(子供)の写真を印刷という文化が出来たのがこの頃。
    それまではお正月の写真と言えば富士フィルムの「お正月を写そう」のCMが主流だった記憶がありますが、この頃からエプソンのカラリオのCMに代わっていたっ気がします。
    インクジェット用の年賀はがきなんてものができたのもこの頃ですよね。
    これに合わせてデジカメとインクジェットプリンタが爆発普及し、家庭のパソコンってこのためだけにあったような気がします。
    またスキャナーが一部普及しアイドル写真集のスキャンデータのファイル共有なんてのも流行りました。

    尚、1999年がDocomo i-modeサービス開始の年。
    まあ、ここからが日本のコンテンツ産業敗退の始まりの訳ですが。
    i-mode = 世界初の携帯でのネット接続。
    これ自体は間違っていなかった…はず…ですが。
    この当時、写真が撮れて音楽が聴けてネットにつながる日本の携帯電話は間違いなく世界最先端。
    どのサービスも海外の携帯ではまだ実現されていませんでした。
    いや、今のスマホと出来ることは基本変わらないんだけど…
    ないのはSNSくらい。

    そして2000年のAmazon日本上陸。
    まじでこの便利さにはびっくりしました。
    しかも、この頃の購入履歴が今でも全部見れるなんて、なんとういう先見性のある顧客管理システムの導入…まさに脱帽…
    同時、ヨドバシ.comは既に1998年にサービス開始していましたが、いかんせんまだ取扱商品が家電のみだったし。ヨドバシは首都圏でしかメジャーでなかったし。
    大学生にはAmazonの便利さが刺さりました。


    いや、まじでこの1996-2001年頃のデジタル化による文化・生活の変化って今、振り返ってみるととんでもなかったと思います。
    とにかく目まぐるしい変化というのが適切な表現かと。
    この時に日本の暇な大学生であったか、既に社会人で徹夜残業に明け暮れていたかって本当に大きな違いだと思います。

    そんなに世間では普及していなかったイメージですが、この当時Microsoftが無料提供していたMSNメッセンジャーサービス。要するにパソコンでの常駐メッセージツール。
    理系の学生の間ではかなりの方が使用していたのではないでしょうか。
    これって要するに、コロナ以降普及したTeamsやZoomのメッセージ機能とほぼほぼ同じものですよね。ファイル添付や共有グループ機能はありませんでしたが。
    50代の方でTeamsのメッセージ機能を利用している(利用できる?)方って私の周りではほとんどみたことありませんが、これが40代になると48でも49でも皆さん使えてませんか?
    まさにこれが、大学時代に鍛えたパソコンリテラシーのたまものかと、勝手に感じています。
    TeamsもまたまたMicrosoftなので、なんだかなーとは思いますが。

  • 社会人若手(私の場合は大学院時代含む):ソフトウェアサービス化の波
    2001年以降は少しハードウェアとしてのデジタル化は落ち着いたのではないでしょうか。
    現代主流の機器で登場していないのはスマートフォン位でしょう。
    大学時代にも掲載しましたがiPodの登場が2001年。
    ソフトバンクによるADSL普及による家庭インターネットの高速化も2001年。

    しかし2001年頃の最大の出来事はGoogle検索の登場です。
    Windows95の登場以来、日本人にとってインターネットといえばYahoo検索でした。
    勿論、MSNの方も当時もいたでしょうし、gooも97年頃がサービス開始の様です。
    ここに突然登場した、広告が全然貼られていないGoogle検索。
    これはかなり衝撃的でした。

    デジタル化の波はハードを一巡して、ソフト化、コンテンツ化へと移行していくわけです。
    今ではすたれましたが、上述のi-modeや着うたの全盛も2001~2003年頃。

    iPhoneが日本に上陸する2008年までの間、日本の各社は色々とインターネットを使ったサービスを試行錯誤し、数々のハードウェアも試しましたが、iPhoneの登場により日本メーカーの立ち位置は一変してしまったわけですかね。

    尚、デジタルコンテンツやソフトという点では今も残る画期的なサービスは日本は日本でも色々登場しました。
    現在ではすっかり著名なひろゆきさんの2ch(開設は98年頃のはず)が一気に伸びたり、出会い系という言葉が出来、悪質な出会い系サイトが摘発されだしのもこの頃、そして2003年の出会い系サイト規制法(正式名称:特定商取引法の一部改正)の施行につながったりしたわけです。

    また個人のホームページの開設が始まったのもこの頃、ブログという言葉が出だしたのもこの頃。
    ライブドアブログ(2003年開始)やアメブロ(2004年開始)が開設されたのもこの当時です。

    日本で最初に流行・普及したSNSは勿論インスタではなく、Twitterでもなく、そしてLINEでもなくMixiでした。流行り出したのは2005年頃。2010年頃まではかなり使われていたのではないでしょうか。
    当時私も20代会社員でしたが、合コンで教えてもらうのは携帯の赤外線通信とMixiでした。
    携帯メール(@docomo.ne.jpとか@au.com)が当時の彼女(今の奥様?)とのやりとりのメインだったかという事も40代以降の方は記憶にあるのではないでしょうか。
    まだLINEもなかったので。
    ちなみにLINEの登場は2011年以降なので大分、最近になります。

    2010年以降は40代、50代位からするとまだまだ最近なので省略しますがスマートフォン、要するにiPhoneの登場以降、早17年。
    それ以降、これといった画期的なハードウェアって出ていないですよね。
    細かいものは色々ありますが、そんなに普及しなかったり、大して画期的でなかったり。

    今は正にソフトウェアの時代ですね。
    現在の生成AIがブームで終わるのか、のちに振り返るターニングポイントなのかはまだ分かりませんが、ハルシネーション問題が解決されるのならば後者なのかもしれません。

と、いうことでいやいや改めて振返って書き出してみると、あれもこれもと筆がとまりません。
なんと多様な新たな機器に触れてきたものかと。
いや、1990~2000年頃って次から次に新しいものが出てきて本当に楽しかったですよね。
しかもこれら多くの機器の大半は日本が世界最先端をいっておりました。
バブル崩壊と言われた90年代。
当時も大恐慌みたいな言われ方をしていましたし、今では失われた30年の始まりとか、さもひどい言われ方をしていますが、学生からしてみたら新しいものにかこまれてまじで楽しい時代でした。

就職氷河期ではあったかもしれませんが、変化に富む、楽しく刺激的な時期であったと思います。
この今の50代の方とも30代の方とも違う経験、体験をどう活かすかは我々次第。

実は現在ネットリテラシーが一番高いかも?

つづいてネットリテラシーの高さ。
前述のアナログ~デジタルの両方に精通と関連している内容ではありますが、要するに聞いた知識としてではなく、個人の実際の使用経験として黎明期~現代までのネットを全て経験している世代であるということ。

今後数年でAIの業務活用が更に拡大し、知識の形骸化がより進むと思われる。
そんな中、聞いて知っている事と、やって知っている事、その理解度がどれだけ大きいかということが今後の働き方のキーになるのではないだろうか。
昨今流行りの生成AIで問題になっているハルシネーション(実際のデータとは異なる、もしくは存在しないものを生成してしまう現象)、要するにAIが何のソースもなしに嘘をついているという事。まあ嘘つくことは問題かもしれないが、これは要するに人間らしいという事ではないでしょうか。AIが嘘をつく事よりも、その嘘を我々が見抜けないという事の方が問題というとらえ方も出来るのかと。
それを見抜けるか、見抜けないが今後しばらくの間、重要なスキルになるのではないでしょうか。
そんな中、ネット黎明期の無法状態を経験している我々の世代は非常に貴重な判断力を持っているのではないでしょうか。

AIで出来るんじゃないの?
…という50代の方々。

AIで全部調べました…
…という20代~30代前半の方々。

周りに結構いないでしょうか。

どっちもバランスが悪いですよね。
心の中で、
なんでも出来ると思うな!、
少しは内容検証しろ!
っと叫んでいることも多いかと。


チェーンメールにどくそ真面目に返信したことある方…
自分の個人情報を漏らした事あるか方…
アダルトサイトの広告に高額送金してしまった方…
パソコンのハードディスクがクラッシュして自分でサルベージした方…

全て私の事ですが、おかげさまで全て貴重な糧になっているかと。
情弱と言われてしまうこともあるかもしれませんが、まあそれぞれ実際に体験することで被害の程度、その対処方法をよく理解できたかと思います。
これが正に知識を知恵に昇華させるという事ではないかと。

就職氷河期と呼ばれる世代の方は、多かれ少なかれ同様の経験をネット利用の中でされてきたかと。それが、現在のSNS利用の中でも活かされているでしょうし、各種業務上の機密情報の取り扱いの考え方という所にも役立っているかと。
バランスの良い情報セキュリティーって重要ですよね。

実は中学受験が結構過酷だった

これは中学受験をした方だけ限定の話にはなりますが、ここにも就職氷河期世代の特徴が表れているかと思います。
1975~1981年、昭和50~56年生まれの方々、即ち中学入学が1988~1994年。
この頃っていわゆる中学受験ブームの過渡期なんですが、いわゆる詰込み型、パズル型、論理型のの全部載せ状態だったんです。
現代との違いは、詰込みもかなりあったという点と複合教科的な問題はなかった点。
もう少し言い換えるならば、

「特定分野の詰込み知識を元に、その内容を論理的に掘り下げる問題」

算数の難問パズルや理科の天体問題(昨年NHKで放映された「チ。-地球の運動について- 」を非常に楽しく視させていただきましたが、中学受験で学んだ天体運動についてい色々思い出しました)なんかが正に典型かと思います。

現代2020年代の中学受験はこうではなく

「幅広い複合分野の広い知識を元に、複合的な内容を論理的に掘り下げる問題」

が求められているのかと。
要するに、今風の別の言い方をするならば、
 1988~1994年:スペシャリスト教育、ジョブ型
 現代     :ゼネラリスト教育、メンバーシップ型

みたいな感じでは?
メンバーシップ型はちょっと違うかもしれませんが、なんせ1988~1994年の中学受験で求められたのは詰込みと、論理の両方。
それって、現在の仕事に最も必要なものです。
特に、海外メンバーと一緒にやる業務では。

我々、昭和50~56年生まれの就職氷河期どん底世代が、中学受験で培った能力は、そのままジョブ型雇用のスペシャリスト業務として海外メンバーと仕事するにあたりとても相性がいいのかと感じています。
日本のメンバーシップ型雇用のマネージメント業務は海外では本当に衝突こそあれ、理解はされません。まあ、海外メンバーでなくても現在の50代、60代の経営層とは私も全く仕事のやり方がかみ合いませんが…


下の表はチャットGPT纏めですが、総論として認識合っている(ハルシネーションはなし)かと思います。
第二次と第三次の間が、就職氷河期どん底世代。

私の場合、小5の途中から小6、即ち88~89年に中学受験のために塾に通い、そして97~99年の大学時代には学生アルバイト講師として東京の大手塾で小中学生を教えていました。
その当時、バイトではない塾の社員講師から言われた一言が

「昔と比べて問題簡単でしょ、パズルみたいな問題なくなって普通に考えればとける問題ばかり」

…っと。

当時は、まあ確かに簡単だなーと感じていただけでしたが、今にして振り返ると見え方が変わってきますね。

【中学受験の時代別ブームとその特徴(Chat GPT纏め)

まあなんにせよ、知識を覚えるという習慣と、それを論理的に掘り下げる能力、これの素地と中学受験、即ち小学校時代に身に着けているというのは、我々世代のとても強みかと思っています。

リーマンショックのおかげで意外と資産増えている方々も…

最後はこれです。
これこそ、人によりけりではありますが確定拠出年金の恩恵に預かりそうな方の割合がかなり多いのではという点です。

実は日本が凄く楽しい時代だった

親世代:戦後復興~高度成長期

先輩世代:バブル就職

後輩世代:日本経済はずっと右肩下がり

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